素粒子実験で用いる半導体受光素子の微弱光検出能力の限界を探る

科学研究費補助金 基盤研究C 平成2327年度)

 

素粒子物理学の実験を行うための測定装置には、高エネルギー粒子ビームの衝突反応によって生成される種々の娘粒子の飛跡を検出したり、運動量やエネルギーなどを測定したり、粒子の種類を同定したりするための様々な粒子検出器が組み込まれている。このような粒子検出器の中には、荷電粒子が物質を通過するときに生じるシンチレーション光やチェレンコフ光のような微弱な光信号を捉えることによって粒子を検出するものがある。例えば、ホドスコープやTOFカウンター、シンチレーティングファイバー荷電粒子飛跡検出器、カロリメーター、チェレンコフカウンターなどである。このような検出器では、より微弱な光信号を確実に検出し、その光量をより正確に測定することが、検出効率や測定精度の向上につながる。従来、このような微弱な光信号は、光電子増倍管などの電子管式受光素子を用いて計測するのが通例となってきたが、本研究の目的は、そのような受光素子の代わりに半導体受光素子の一種であるアバランシェフォトダイオード(APD)やマルチピクセル・フォトンカウンター(MPPC)を用いて、光電子増倍管などでは検出効率が著しく低下するような極めて微弱な光信号を確実に検出し、その光量をより正確に測定する方法を確立することである。特に、本研究では、平均光子数10個以下の極めて微弱な光信号を上述の半導体受光素子で検出する実験を行い、どのくらい微弱な光信号まで100%に近い検出効率で検出でき、その光量を精度よく測定することができるか、その能力の限界を探る。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\yoshida\Documents\yoshida_work\public_html_work\fiber\APDアレイ.jpg DSCF0883
テキスト ボックス: MPPC S10362-11-100U(浜松ホトニクス特注品) 
受光面1mm×1mm 

APD array SPL2368-16(浜松ホトニクス特注品)

受光面 直径1mm、同社のS5343とほぼ同特性

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一般に、微弱な光信号を検出する装置は、最初に受光面のところで光電効果によって光子を電子(光電子)に変換し、その光電子を増倍させ、電気信号として取り出す仕組みになっている。入射する光信号が、例えば光子の数でせいぜい数個程度しかないほど微弱である場合、最初に光子を電子に変換する際の効率(量子効率)が、受光素子を選択する上で本質的に重要なパラメーターとなる。もし量子効率が低く、光電子がひとつも得られなかったら、そのあとの光電子増倍率がいくら大きくても信号は出てこないからである。光電子増倍管は、光電子増倍率が極めて大きく(100万倍程度)、ノイズも小さいという長所があるものの、量子効率がせいぜい20%程度しかないため、100%近い効率で光信号を検出するためには、光信号の中に少なくとも数十個以上の光子がなければならないことになる。そこで、我々は、光電子増倍管の代わりに、80%を超える高い量子効率を持つ「APD」や、光子検出効率が70%に及ぶ「MPPC」に着目した。これによって光電子増倍管の限界を超え、微弱光検出の究極の目標である「光子1個を100%の効率で検出すること」までは無理であろうが、その究極の目標に限りなく迫りたい。

ただし、APDには、光電子増倍率をあまり大きくすることができず、そのため光電子増倍管に比べてS/N比が小さいという欠点がある。APDにかけるバイアス電圧を上げれば光電子増倍率は大きくなるが、室温中でAPDを動作させる場合、光電子増倍率はせいぜい50~100倍が限界となる。それ以上大きくすると、急激にノイズが増え、かえってS/N比が下がってしまうのである。これでは、APDが光電子増倍管を凌駕することは不可能である。このため、これまで素粒子実験用の粒子検出器の中でAPDが使われることは、ほとんど無かった。しかし、我々は、これまでに行った研究の中で、APDを-50℃程度まで冷却することによって、そのS/N比が飛躍的に向上することを見出し、この効果によって、シンチレーティングファイバー(Sci-Fi)が発する光子10~20個程度の微弱な光信号を100近い検出効率で検出することに成功したT. Okusawa, T. Yoshida et al., Nucl. Instr. and Meth. A459, 440, 2001)。しかも、このときは、APDの製造元の協力を得て、Sci-Fiの発光波長域で量子効率が最大95%にも達するAPDを特別に開発することもできた(T. Yoshida et al., Nucl. Instr. and Meth. A534, 397, 2004。今回申請する研究では、我々がこれまでに培ったこのような技術をさらに発展させ、光子10個以下の極めて微弱な光信号を100%近い検出効率で検出し、その光量を精度よく測定するという課題に取り組む。特に、これまでは、ペルチエ素子を用いたAPD冷却装置を開発し、その装置でAPDの冷却を行っていたが、本研究では、その装置を、液体窒素を用いて冷却できるように改造し、これまでは-50℃が限界であった冷却温度をもっと下げられるようにすることによって、APDのS/N比の更なる向上を図る。

 既に上で述べたように、素粒子実験用の装置の中でAPDが用いられた例は、これまで殆ど無い。欧州CERNで稼働し始めた次世代の加速器LHCを用いる実験で、電子やγ線のエネルギーを測定するための電磁カロリメーターの受光素子としてAPDが用いられているのが唯一の例であろう(K. Deiters et al., Nucl. Instr. and Meth. A453, 223, 2000)。しかし、通常、カロリメーターが発する光信号は、光子の数が数千~数万個にも及ぶほど大きいので、その光信号を検出し、光量を精度よく測定することは、さほど難しくない。一方、我々が今回申請する研究で目指すのは、光子数にして10個以下の極めて微弱な光信号を高い検出効率で検出し、その光量を精度よく測定することである。このような微弱な光信号を計測するためにAPDを用いることは、これまではとても無謀なこととされてきたが、我々が既に行った研究から、実現の可能性が十分見えてきた。これが本研究の独創的な点である。

 また、最近APDを応用して新しく開発された上述の「MPPC」という新しいタイプの受光素子も試してみたい。MPPCの動作原理については次の「研究計画・方法」の項で詳しく説明するが、1つのMPPC素子の中に小さいAPDピクセルが密に集積されており、そのAPDピクセルをガイガーモードで動作させるため、半導体受光素子の割には大きな信号が得られる。このため、最近ではシンチレーティングタイル・ファイバー型カロリメーターなどによく用いられている。しかし、MPPCも半導体受光素子であるが故に、ノイズの発生頻度(ダークカウント)が高いという欠点を持つ。MPPCで光子10個以下の極めて微弱な光信号をノイズから区別し、確実に検出するためには、MPPCを冷却し、それによってダークカウントをどこまで抑えられるかが鍵となる。MPPCを用いる際には、MPPC製造元の協力を得て、市販のタイプだけでなく、本研究の目的にあわせた特別仕様のMPPCも特注で作製し、その性能評価も行う。

本研究によって、これまで低い検出効率でしか検出できなかったような極めて微弱な光信号を確実に検出し、その光量まで高い精度で計測できるようになれば、素粒子物理学の実験で用いる種々の粒子検出器の検出効率や測定精度の向上に十分つながる。また、発光体として用いるシンチレーターなどの物質の量を減らすことができ、実験装置の小型化も図れる。さらに、光電子増倍管などの電子管式受光素子と違って、本研究で用いるAPDMPPCは磁場の影響を受けないので、荷電粒子の運動量を測定するために必ず磁場を必要とする環境の中でも、磁気シールドなどをせずに、そのまま使うことができる。さらに、APDMPPCは入射光に対する応答が速く、出力信号の立ち上がりを1ナノ秒以下に抑えることができるので、出力信号の立ち上がりが一般に数ナノ秒以上となる光電子増倍管に比べて高速応答性の点でも優れており、次世代の大型加速器を用いたルミノシティーの高い実験での検出器の高速化にもつながる。

 本研究は、光ファイバー通信などの分野で近年めざましい発展振りを見せているオプトエレクトロニクス技術に負うところが大きいが、逆に、本研究で追究する超微弱光計測技術が、光ファイバー通信技術など、素粒子実験以外の分野にも活用され、新たな研究分野を切り開いて行く可能性も期待される。