欄 : 日本物理学会誌 第45巻 (1990年) pp. 916-918.「最近の研究から」 題名 : 「K異性体で原子核の形を見る」 執筆者 : 田嶋直樹 <東京大学教養学部物理教室 153 東京都目黒区駒場 3-8-1>【注】図1〜3のファイルはまだ準備していません。
§1.K異性体とは
閉殻からある程度以上離れた原子核は、基底状態で良く変形している。1) その形は一般に対称軸方向に長い回転楕円体(プロレート型)である。質量数が中程度以上の場合、原子核の運動は、集団的な回転運動と、変形したポテンシャル内での核子の運動とに良く分離される。
原子核の全角運動量Iの、変形の対称軸方向の成分をK量子数と呼ぶ。(非軸対称のときは最長軸方向の成分であると本稿では定義する。)系が軸対称性を持つとき、角運動量の対称軸方向の成分は保存されるから、変形核の状態は角運動量や偶奇性に加えて、K量子数で分類できる。
K量子数の大きい状態の電磁崩壊の様子を、図1に模式的に表した。輻射の多重極度がλのとき、全角運動量保存則のために、角運動量量子数Iおよび磁気量子数Mの変化の大きさはλを越えられない。さらに、Kが良い量子数ならば、始状態と終状態のK量子数の差ΔKの絶対値もλを越えることができない。これをK選択則と呼ぶ。
大きなK量子数を持つ状態が、ユラスト準位(ユラスト状態とは、各角運動量での最低エネルギー状態を指す)の近傍にある場合を考える。角運動量の値が近く、エネルギー的に遷移可能な状態に、Kの小さいものしかない場合、それらへの低多重極度の遷移が禁止されることにより、高K状態は長寿命化しやすい。これをK異性体と呼ぶ。ここで、異性体とは、崩壊可能な終状態との構造の違いが大きいため、非常に寿命の長くなった励起状態のことである。
ハフニウム(Z=72)付近の核では、フェルミ準位近傍にΩ量子数(一粒子状態のK量子数)の大きい軌道が多い。核子がこれらの高Ω軌道間で粒子・空孔励起すると、K量子数の大きな低励起状態ができやすい。これらの状態は典型的にはμsからmsの寿命を持ち、なるべくKの近い状態への遷移を選択しつつ段階的に脱励起するという特徴的な崩壊の仕方を示す。観測されたなかで最も長寿命のものは178Hfの 2.446 MeV 準位にあるI=K=16 状態で、 31±1 年もの半減期でI=13、K=8 の状態へ電磁崩壊する。
§2.K選択則の破れ
変形が完全に軸対称であっても、実際には、K量子数の異なる状態がわずかに混合する。これは、原子核が有限系であるため、核全体の方向が内部運動の反跳によって変わりやすいためである(コリオリ混合)。そこで、K選択則の有効性の尺度として、K禁止度(n=|ΔK|−λ)当りの遷移阻害因子fWを、(BW/Bexp)1/nと定義する。ここで Bexpは着目する電磁遷移の(内部転換の寄与を差し引いた)換算遷移確率、BWは Weisskopf の評価法による多重極度λの一粒子電磁遷移確率の概算値である。fWの値は経験的に 102 程度であることが知られている。このようにK選択則が良く成り立つことは、原子核の変形描像の重要な裏付けである。
ところが、近年、この経験則に当てはまらない短寿命のK異性体が、オスミウム(Z=76)に数例発見された。例えば182Osの半減期 130 ns、I=25 の異性体は、2.4% の分岐比でI=24 のユラスト状態に直接崩壊することが観測された。2) 崩壊先のK量子数を最大に見積もって約 10(回転整列状態であるためK量子数は広く分布する)とし、輻射の多重極性をM1と仮定すると、fWの値は約5と非常に小さい。また、184Osの半減期 20 ns、I=10 の異性体にも、基底バンド(K〜0)への直接崩壊が発見された。3) I= 10 状態へのM1遷移(分岐比 6%)はfW=5.0、I=8状態へのE2遷移(同 12%)はfw=3.6 と、やはり非常に小さい。他の同位体やタングステンにも短寿命の異性体が見つかっていて、今後の詳細な測定が期待される。
これらの核は、閉殻(Z=82)に近いため、変形がやや小さい遷移領域核である。興味深いのは、このオスミウムの属する遷移領域では、核が非軸対称変形にたいして柔らかくなると予想されていることである。軸対称性の破れはK量子数をさらに混ぜ、K選択則の破れは増大するであろう。
§3.原子核の非軸対称変形
原子核では、四重極変形を、変形度βと非軸対称度γとで表すことが多い。γは、図2下段の絵のように、プロレート形に対しては 0°を、オブレート形(偏平な回転楕円体)に対しては 60°をとり、その間のγの値に対しては非軸対称な形が対応する。γ=0°のとき、βは長軸と短軸の差を平均半径で割ったものにほぼ等しく、よく変形した核では 0.3 程度の値をとる。
変形核に系統的に観測されているγバンド(K=2の集団励起をともなう回転帯)は、このγ自由度に関する励起状態とみなされる。励起の様態に関しては、動的なγ振動模型を提唱する Aage Bohr - Mottelson4)と、静的な非軸対称回転子模型を提唱する Davydov - Filippov5)との間で、有名な論争があり、その後も多くの人々によって研究されてきた。前者の模型では、原子核は軸対称な平衡変形を持つとされ、そのまわりの比較的浅いポテンシャル中でのγの形状振動がγバンドに対応するとみなされる(図2上段参照)。一方、後者の模型では、原子核は固い非軸対称な平衡変形を持つと仮定される(図2中段参照)。その結果、軸対称のときはなかった最長軸のまわりの集団的回転が可能になり、これがγバンドに対応する。両模型は、非常に異なった描像に基付いているにもかかわらず、基底バンド・γバンドのエネルギー準位・電磁遷移確率について、同程度に良く実験に合う結果を与える。
変形という描像が成り立つためには、形状の零点ゆらぎが平衡変形値より十分に小さい必要がある。原子核は有限系であり、量子力学的ゆらぎΔβ、Δγは大きい。測定された遷移確率から変形核でのゆらぎの大きさを評価すると、Δβ/β〜5%、Δγ〜10°である。したがって、βについては変形の概念はよく当てはまるが、γについては、ゆらぎの振幅が実験値の再現のために仮定された平衡値と同程度であるため、変形しているとは言えない(高スピン状態をのぞく)。このような観点から Bohr らは非軸対称回転子模型を厳しく批判した。その後、奇A核の研究を通じて、固い非軸対称変形の描像が再提唱されたことがあるが、現在では、否定された。
このように現実的でない非軸対称回転子模型が成功したのは、エネルギー準位や集団遷移確率などの量は、γの2乗平均値という一つのパラメータでほぼ決まってしまうからである。(平衡値が異なることから、両模型はγの1次の期待値で異なるように見えるが、実際はともに零である。これはγが2次元運動の動径座標的な性格を持つことによる。対応する「方位角」は長軸の回りの回転角の2倍である。γの符号の反転は、長軸の回りの 90°の回転に等価である。)従って、非軸対称回転子模型で静的γ変形の大きさをこの平均値に合わせれば、γ振動模型を擬似することができるのである。
もし両模型が顕著に異なる結果を与える観測量があるならば、その実験値からγ方向の運動について、新たな情報を得ることができるであろう。そのような目的で現在までに、γバンドのスペクトルの指標分裂や、γ振動の2フォノン状態の性質が研究されて来た。最近ではクーロン励起実験の大規模な解析が注目された。次節では、K異性体の寿命もまた、そのような量であることを説明する。
§4.K混合からγ自由度の何がわかるか
非軸対称変形自由度γの、動的または静的な導入によって、K選択則の破れ方がどう変わるかを、筆者らは粒子・回転子模型を用いた数値計算によって調べた。6) 計算は、184Osなどに見られる K=10 異性体について行った。
模型では、侵入軌道内の全中性子を、γ振動模型や非軸対称回転子模型などの芯に結合させた。この模型では、角運動量の扱いが量子力学的に厳密であるため、コリオリ混合の定量的な評価が可能である。また、粒子状態を、核変形との相関を考慮しない球対称基底で展開するため、大振幅のγ振動のもとで多様に変化する粒子運動を、単一の枠組みで取り扱うことが容易であるという利点を持つ。ただし、考慮すべき状態空間は巨大になる。
γバンドの励起エネルギー(非軸対称性の尺度)とK異性体の半減期(基底バンドへの直接崩壊のみ)との関係を図3に示す。非軸対称回転子については静的γ変形の大きさを、γ振動模型に関してはγ変形に対するポテンシャルの固さ(V1)を変化させて、その軌跡を描いてある。注目すべき点は、γ振動模型では、非軸対称回転子模型に較べて、寿命が2桁以上も短縮されることである。実験値は両模型の間に位置し、γ=15°〜 20°に極小点を持つ、かなり非調和性の強い関数形をしたポテンシャルを用いると再現される。この結論は、他の微視的な計算の結果と、定性的に一致している。
γ振動模型を用いた場合の方がK選択則の破れが大きい原因は、γの量子力学的ゆらぎにある。γ振動模型では、波動関数はγの増大する方向に長い尾を引いているが、γが大きくゆらいだときK量子数は著しく混ざる。一方、非軸対称回転子模型ではγは比較的小さい平衡値に固定されていて、このような激しいKの混合はない。即ち、K選択則の破れの程度から、γがどれくらいの値までゆらいでいるかが解るのである。
§5.まとめ
γ振動模型と非軸対称回転子模型の相似性からわかるように、我々は原子核の非軸対称変形についてごく限られた情報しか持っていない。ところが、近年、オスミウム等に非常に短寿命のK異性体が発見され、これらのK選択則の破れの程度から、新たな情報を得ることができた。エネルギーや集団遷移振幅には波動関数の山の部分が寄与するのに対して、K選択則の破れには、きわめて小さい尾の成分が最も強く効くのである。一般に、まれな現象には、通常は入手しにくい情報が含まれている可能性が大きい。
近年のガンマ線核分光装置の大型化を背景に、今後、短寿命のK異性体の探索や、その個々の崩壊モードの精密な測定が系統的に進められていくであろう。理論的にも、他のグループによる解析7)も進行中で、K異性体の研究は、ここしばらくは、核構造研究の主要なテーマの一つであり続けることと思う。
文献
1) 清水良文,松柳研一:日本物理学会誌 43 (1988) 841.
2) J. Pedersen et al., Phys. Rev. Lett. 54(1985)306.
3) P. Chowdhury et al., Nucl. Phys. A485 (1988) 136.
4) A. Bohr, Mat. Fys. Medd. Dan. Vid. Selsk. 26 (1952) no. 14; A. Bohr and B.R. Mottelson, Mat. Fys. Medd. Dan. Vid. Selsk. 27 (1953) no. 16.
5) A.S. Davydov and G.F. Filippov, Nucl. Phys. 8 (1958) 237.
6) N. Tajima and N. Onishi, Nucl. Phys. A491 (1989) 179.
7) T. Bengtsson et al., Phys. Rev. Lett. 62 (1989) 2448.
図の説明
図1 K選択則の模式的な説明図。左側の高K量子数の状態が右側の低K量子数の状態に電磁遷移するとき、輻射の多重極度λはKの変化量以上でなければならない。
図2 非軸対称度γに対するポテンシャルエネルギー(実線)と基底状態の波動関数(破線)。上段はγ振動模型に、中段は非軸対称回転子模型的な場合に対応する。下段には各γの値に対する原子核の形状を示す(β=0.3)。半径の等しい点を等高線でつないである。
図3 K=10 異性体の半減期とγバンドの励起エネルギーの関係。