博士論文(1988年12月)の内容の邦文要旨

         題目邦訳 原子核の非軸対称変形の自由度とK異性的崩壊
         氏  名   田嶋 直樹


 原子核の非軸対称変形の自由度(γ)を取り扱う理論的枠組みには、Bohr 
と Mottelson によるγ振動模型と、Davydov と Filippov による非軸対称回
転子模型との、異なる描像に基付く2つの模型がある。前者では、原子核は軸
対称な平衡変形を持つと仮定される。そのまわりの振動運動が低励起モードに
なり、変形核に系統的に観測されるγ回転帯に対応するとみなされる。一方、
後者では、原子核は非軸対称な平衡変形を持つと仮定される。その結果、原子
核はその変形の3本の主軸の全てのまわりに回転できるようになり、軸対称な
場合と比較して、特に最長軸のまわりの回転が新たな低励起モードとして現れ
ることになる。また、変形のγ方向への固さのため、γ振動状態は高励起準位
に押しやられ、γは力学変数でなく静的パラメーターとみなされる。

 後者の仮定する静的γ変形は、量子的揺動が平衡値より大きいため、(低ス
ピンの)原子核では成立しないと思われる。ボーアの液滴模型のハミルトニア
ンを仮定すると、γの零点揺動の振幅は、実験データを再現するために非軸対
称回転子模型で仮定される平衡変形値に較べて、同程度かそれ以上になってい
る。このようにその描像が現実の原子核に対応しないにも拘らず、非軸対称回
転子模型は、集団励起状態のエネルギー準位やその間の電磁遷移振幅について、
γ振動模型と良く似た結果を与えることが知られている。これは、これらの量
はγの何らかの平均値で決まってしまい、そのまわりの揺動の大きさ等には依
らないためだと考えられる。従って、静的γ変形の大きさを調節することで、
非軸対称回転子模型でもγ振動模型と同様な結果を得ることができるのである。

 もし両模型が顕著に異なる結果を与える観測量があるならば、その実験値か
らγの揺動の振幅が分かり、また、γ変形に対するポテンシャル・エネルギー
の形が引き出せるであろう。そこで、両模型の区別に関して、2重γ振動状態
の研究をはじめ、多くの議論がなされて来た。我々はこの論文で、K異性体の
崩壊に於けるK選択則の破れの程度が、両模型を極めて明瞭に区別することの
できる量であることを示す。

 軸対称に強く変形した原子核では、角運動量の対称軸方向の成分(K量子数)
が良く保存される。明確に決まったK量子数を持つ状態間の電磁遷移では、K
量子数の変化が遷移の多重極度を超えられないというK選択則が成立する。従っ
て、Kの大きい状態は、エネルギー的・角運動量的に遷移可能な状態がKの小
さいものしかない場合、それらへの低多重極度の遷移を禁止されることにより、
長寿命化し易い(K異性体)。実際の原子核では、仮に変形が完全に軸対称で
あっても、回転運動の内部状態への影響(コリオリ相互作用)のため、K量子
数は混ざり、遷移が起こる。K選択則の有効性の尺度として、K禁止度(Kの
変化と遷移の多重極度の差)当りの換算遷移確率の阻害因子をとると、その値
は典型的なK異性体では 102 程度である。

 ところが、最近複数のオスミウム同位体に発見されたK異性体のいくつかは、
この経験則の予想より遥かに速く崩壊する。その中で、この論文では、184Os
の KP=10+ 状態を取り上げる。このK異性体は、侵入軌道であるνi13/2軌道
に2個の準粒子が励起された比較的単純な内部状態を持ち、曖昧さが少なく扱
い易いという利点を持つ。崩壊は基底回転帯の状態への M1・E2 遷移(ΔK=10)
によって起こるが、そのK禁止度当りの阻害因子は 3〜5 と異常に小さい。同
じ構造のK異性体はZの2個小さい182Wにも発見されていて、同様に著しく
K選択則を破って崩壊する。

 これらの核が、γ回転帯の励起エネルギーの小さい、所謂γソフトな核であ
ることから、コリオリ相互作用以外にK選択則を破る要因として、γ変形の自
由度が重要だと考えられる。そこで我々はγ自由度のK異性体の崩壊に及ぼす
効果を調べることにした。計算の枠組みとしては、まず、コリオリ相互作用の
定量的な評価が必要と考え、固定軸のまわりの半古典的な一様回転を表すクラ
ンキング模型でなく、3次元的な回転を量子力学的に記述できる粒子・回転子
模型を採用した。さらに、γの動的な(力学変数としての)取り扱いによりγ
の揺動の効果を見るため、「回転子」にγソフトなボーアの液滴模型を採用し
た。この模型は極限としてγ振動模型と非軸対称回転子模型とを含んでいる。

 我々の模型の特徴は、通常の強結合形式の粒子・回転子模型のように核変形
に固定された内部座標系を用いるのでなく、実験室系で記述されることである。
この定式化により、γ=60°にも達するような大振幅のγ振動のもとでの粒子
運動を量子力学的な形式で取り扱うことが可能になる。粒子状態が、核変形と
の相関を考慮しない球対称基底で展開されるため、必要な状態空間が巨大にな
り、数値計算にも細心の注意が必要であった。特に、多重γ振動状態について
は、計算結果に影響しないだけの充分な広さの状態空間を取り入れたことを付
記して置く。

 我々は、まず、軸対称回転子模型を使用することにより、コリオリ相互作用
の効果を、γ自由度とは独立に調べた。その結果、これらの比較的小変形(β
=0.2〜0.24)の核では、その効果はかなり大きいが、問題のK異性体の短い
寿命を再現するほど充分には強くないことが示された。

 次に、非軸対称回転子模型およびγ振動模型を用いることにより、γ自由度
の効果を調べた。前者については静的γ変形の大きさを、後者に関してはγ変
形に対するポテンシャル・エネルギーの固さをγ回転帯の先頭状態のエネルギー
準位で決定すると、184Osの場合、軸対称回転子の場合と比較して、寿命が前
者で約1桁、後者で約3桁短縮されることが示された。実験で観測された寿命
は、両模型による計算値の間に位置し、適当な形のポテンシャル・エネルギー
を仮定することで再現できる。今回の計算からは、K異性体の寿命から予想さ
れるポテンシャル・エネルギーの形は、182Wに付いてはγ=0°に極小点を持
つγ振動模型的なものが良く、一方、184Osに付いては、γ=15°〜 20°に極
小点を持つ、かなり非軸対称模型的なものが当てはまるようである。この結論
は、他の微視的な計算による予想と、定性的に一致している。注目すべき点は、
γ振動模型では、非軸対称回転子模型に較べて、K異性体が2桁以上も短寿命
化することである。一方、両模型は、回転帯内 E2 遷移のような集団的性格の
量に対してはあまり異ならない結果を与える。

 K選択則の破れ方の両模型での違いの原因は、γ変形の量子力学的揺動にあ
ると考えられる。γ振動模型では、γ変形に対するポテンシャル井戸は浅く、
波動関数はγの増大する方向に長い尾を引いている。大きなγ変形がK量子数
を混ぜ、内部構造のK異性的性格を弱めることから、この長い尾がK異性体の
崩壊の促進に決定的な役割を果たしていることが推論される。実際、K異性体
でのK量子数の確率分布の広がりは、γ振動模型を使用した場合、非軸対称回
転子を用いたときより、遥かに大きい。前者について、K量子数の分布を、各
γ変形の大きさ毎の寄与に分けて見ると、主にγ=60°付近の大変形成分が両
者の差に寄与していることが分かった。

 K異性体の構造をさらに詳しく調べると、非常にγソフトなポテンシャルを
用いた場合、波動関数のγ=0°の成分についてのK量子数の分布に、主成分の 
K=10 の山の他に K=0 にも第2の山が存在することが判明した。これは、K異
性体と基底回転帯の状態との混合を意味する。また、K異性体からの遷移振幅
の、γに付いての強度分布を見ると、主に効くのは、小さいγである。これら
のことから、大きいγ変形に相当する波動関数の成分から直接に電磁崩壊が起
こるのではなく、K異性体の状態と基底回転帯の状態とが、大きくγ変形した
状態を中間状態とすることで効率よく混合し合うため、K異性体の崩壊が早め
られるという描像が、より正鵠を得ていると考えられる。この様な、大振幅の
γ揺動による内部構造の非常に異なった状態間の混合という描像は、184Osに 
KP=10+ 異性体を発見した実験グループによって既に示唆されている。

 ただし、少なくとも今回取り扱った例に付いては、このような半古典的な描
像を利用して、定量的な評価のできる近似法を構築することは望めないであろ
う。例えば、K異性体からの遷移振幅強度がγ=0°付近以外にも広く分布して
いることに例証されるように、崩壊について一本の経路を想定することには、
無理がある。また、コリオリ相互作用の効果がかなり強く、その評価のために
は、粒子・回転子模型の様な量子力学的な枠組みが必要である。さらに、諸要
因間の干渉をも考慮しなければならない。従って、今回の計算の様に、重要な
全ての諸効果を、単一の量子論的な枠組みの中に取り入れて初めて、定量的に
信頼できる評価が可能になると思われる。

 まとめると、我々の計算により、K異性体の崩壊に於けるK選択則の破れの
程度から、γ変形の量子力学的揺動の振幅の大きさや、γ変形に対するポテン
シャル・エネルギーの形についての情報が引き出せることが明らかにされた。
一方、回転帯内や振動状態間の集団的な電磁遷移では、その遷移振幅は、γ変
形についての波動関数の大局的な性質によって決まるため、波動関数の尾の部
分のような、小さい成分についての差異を区別することは出来ないと言える。